ペルーに行ってみた。
インカ古道トレッキングでマチュピチュへ。

4月2日(金) リマの一日(クスコ→リマ)

朝、トレッキング中借りていたダッフルバッグを空にして、スーツケースの旅行者に戻る。旅は終盤に向かっていることを実感して寂しい。今晩にはもう日本へ発つのだ。

クスコはいい街だった。もっといてじっくり見たい街。また来たいよ、ほんとうに名残惜しい。切ない気持ちで飛行場のガラス窓から茶色い街をじっと見つめる。
Adios!Hasta luego!(さよなら、また今度。)

リマ行きの飛行機に乗り込むと、気持ちを切り替え、リマでの1日を無事に過ごすための予習を必死で始める。なぜなら、今日はペルーで一番危険な街を独りで行動することになるからだ。もう帰るだけだからとガイドを手配しなかったことを少し後悔するが仕方ない。

予定としては、空港で荷物を預けて、博物館巡りをして、余った時間はミラフローレスという比較的安全な繁華街に夜までいて、空港にもどる。日本へのフライトは真夜中の日付が変わる頃なのだ。

空港で荷物を預けるには?ガイドブックで探しても空港内の地図がないので、事務所の場所を人に聞くための文章をスペイン語で考えてみる。
「荷物を預ける事務所はどこですか?」
「預ける」のスペイン語がわからない。旅のスペイン語の本で探すが、ぴったりの例文がない。いろいろな場面設定で例文が載っているのだが、ない、ない。
困ったなあ、焦る。
少し息を抜こう。困ってるから「トラブル」の場面を見てみようっと。
すると、「タクシーにバッグを置き忘れました」。あ、これ使える?「置き忘れる=left」は「dejar」か?今度は西和辞典を取り出しひいてみると、使えそう。
できました!「Donde esta la officina para dejar equipaje?」
やれやれ多分これでなんとかなるだろう。

リマに着いた。さあ、いよいよ。
荷物を受け取ったら、客引きと目が合わないように、安全そうな空港の職員らしき人の目星をつける。
「Donde esta la officina para dejar equipaje?」
通じた。あっちだと指差された通りスーツケースを転がしていく。

と、横から男性が「荷物預けるのか」みたいなことを話しかけてきて、私の荷物を運ぼうとする。おーっと、そうはさせじ。スーツケースの持ち手は絶対離さないで自分で転がす。が、彼はずっと押してくる。押すのは勝手じゃと思い、無視。

事務所は結構遠い。ほとんど空港の端から端まで歩いた。男性がここだと教えてくれる通りだった。それはいいんだけど。

荷物を預けたら、さきほどの男性はやっぱり待っていて、こっちだと今来た方向をしぐさで表す。別についていくわけじゃないけど、まあそっちにタクシー乗り場があるだろうと思い歩いていく。

両替所があったので、男性に何も言わずフェイントかまして、ささっと寄ってみる。
が、両替が終わったら、やっぱり待っていて、またこっちこっちと誘導する。

あーあ。聞いてみるとやっぱりタクシードライバーだった。Yシャツの胸のマークを誇らしげに見せて、オフィシャルタクシーだから安全だと言う。まあ、別にあやしげでもなさそうだし、空港タクシーは普通のより高いらしいけど、最初だし、まあいいかな。

行き先のMuseo Nacional de Anthropologia e Historia del Peru(国立人類学考古学博物館)の住所を見せて運賃を聞くと、cincuenta soles(シンクエンタソレス=50ソル)だというので、まあ妥当かと思い、乗ることにした。

リマ=怖い街という図式が頭の中にあるので、できる限り全てに注意を払う。窓から盗まれないよう、後部座席の真ん中にすわり、荷物は膝元に置く。
運転手がドアのロックをしろと言った。うっかりしてた。

車はめちゃ多い。みんな飛ばすし、自分の邪魔をする車にはがんがんクラクションを鳴らすのでうるさい。
一応このタクシーも信用し切ってないので、変なところに連れて行かれないよう、地球の歩き方の地図のページをにらみつけ、どの道を走っているか把握しようとするが、そのうちわからなくなってしまった。

博物館に到着。50ソルを出すと、運転手がなんか言う。もう20ソル出せって。
あれ?さっき50ソルって言わなかったっけ?・・・、でも素直に言われるまま払った。
(後から考えるほどに、これは「ぼられた」のだなあとしみじみ腹がたってきた。)
続けてしゃべりかけてくる。
「博物館に何時間いるのか?」「あそこに止まってるようなタクシーは危ない」
私が博物館から出てくるまで待つ気か。
もういらん!「No!」はっきりした態度がここでは必要だ。

タクシーを降り、門のそばまで行って気がついた。
「Museo Rafael Larco Herrea(ラファエル・ラルコ・エレア博物館)」。違う博物館じゃないか!
あわてて、タクシーにもどり、ギャンギャン怒ってみせる。運転手は「No Soles(ノーソレス)」(金はいらない)と言いつつ、送ってくれた。金はいらんって当たり前やろ!全く、ええ加減だなあ。

博物館に入ってすぐに、天野博物館に予約の電話を入れる。初公衆電話。緊張しつつ、50センティモス(=0.5ソル)のコインを投入。
日本語で「もしもし」と言ったら、拍子抜けするほどの普通の日本語で返事をしてもらえた(相手は日本人だったのだ)。

カフェテリアがあったので、軽く食べようと、チキンのサンドイッチを頼んだつもりが、チキンだけが出てきた。・・・黙って食べる。トレッキング中いつも満腹食べていたから今日はまあいいや。

博物館の隅から隅までじっくり見る。私好みな土器がいっぱい。写真をいっぱい撮る。
いろんな形の酒瓶がたくさん。家畜、野菜をかたどったものから、人間の顔やいろんな性交ポーズのやつとか、とにかく、のびのびとワシはこれをつくりたいんやーって意欲があふれていてステキ。






日本の縄文土器が情熱のほとばしるままに!って感じなのに比べて、ペルーの土器は技巧的にこんなんできるでーって見せつける意図も感じられる。表面をつるつるに磨いて、色も使って絵を描いて、かなり入れ込んで作ってると思う。粘着質な人間だな、きっと。

外へ出る。出口のガードマンが「タクシー?」と聞いてくるので「Si.」(はい)と答えると、彼はおもむろに「ヒュイー!」と指笛を鳴らした。かっこいい!
すると、門前に止まっていた黄色いタクシーの運転手のおっちゃんがやってきた。
値段交渉。今度はぼられないぞ。
「Cuanto costara para Museo Amano?」(天野博物館までいくらですか?)
「fifteen soles」
フィフティーンっていうと・・・、さっき数をスペイン語で一覧表にしておいたメモをちらりと見ながら、「quince soles?」(15ソル)とスペイン語で確認した。
「Si」
15ソルで間違いない。「ok!」
そんなわけで、交渉成立してタクシーに乗り込む。
ふと。15ソルって妥当なのか?はっ、それをうっかり忘れていたぞ。
「地球の歩き方」を開くと、・・・7,8ソルが相場だと書かれていた。
ああ・・・。
またぼられた。

いいカモを拾った運転手はさすがに上機嫌で、ラテン系の明るいノリでペラペラといろいろ話しかけてくる。
名前を聞かれ、私もついついスペイン語をしゃべりたがりなので、「Me llamo YUKI」(私の名前はユキです)と答える。
すると、彼は「ジュキ」とスペイン語訛りで私の名を発音するのだった。
苗字まで聞かれて、そのまま答える。名乗ってちょっとしまったと思う。注意がたりない。あまり気を許さないほうがいい。

天野博物館に到着。今度はすんなり行った。ぼられたけど。

この博物館は天野博士が研究の成果を集めて作ったもので、とっても小さな施設ではあったが、織物のコレクションがすごかったし、土器、陶器もわかりやすく展示されていた。それなのに入場料は無料だという。

なによりいいのは、日本人のボランティアが1時間かけてじっくり解説してくれるのだ。
解説のおかげで、さきほどの国立人類学考古学博物館の展示を思い出して、頭の中で整理することができた。

おもしろいなあと思う土器はプレインカ(インカ時代より前)のものだったのだ。インカ帝国の強大な権力は陶器の規格まで決めてしまったそうだ。
ペルーの歴史を観ると、スペインが何もかもぶち壊して、独自文化がとだえてしまったように思えて、ついスペインを悪者扱いしてしまうが、インカ帝国だってそれ以前の国から見れば同じようなものだったのかもなあ。

織物もすごいんだ。綿を絹糸並みに細く紡ぐ技術、織り方や文様の豊かさ、褪せない染色(サボテンに付く虫から採るコチニール。白まで染めていたそうだ)。
陶器に描かれた文様はおそらく織物の文様を真似ているから幾何学的なんだろう。
織物の文様は、布を染めるのではなく、糸を染めるので、幾何学的な模様なのだ。
なぜ布を染めず、糸を染める発想でずっと現代まで来ているのだろう。きっと、ペルーの人々は緻密な織りの技術の美を見せるために糸を染めてるんじゃないかな。
陶器にしても、これでもかという複雑な形を作り、表面を磨きまくってるし。
遺跡の石組の正確さにしても。
きっと、すごく粘っこく仕事をする性質で、手仕事の美を大事にする民族なのだと思う。
そういう一途さにひかれちゃうのかなー。

見学が終わると、ボランティアのお兄さん達も帰宅するので、タクシーに一緒に乗せてもらえることになった。2度ともぼられて、自分のこともリマの街も少し嫌になっていたので、ほっとする。

外に出て、通りでタクシーを拾おうとしたそのとき。
「ハーイ、ジュキ!」
え?
あ!げげげー!さっきぼられたタクシー!
なんと私が出てくるのを待ち受けていたのだ。す、すごい商売根性。
まあ、断る理由もないので、ボランティアのお兄さん達と乗り込む。

着いたのはミラフローレスの民芸品市場の前。
ボランティアのお兄さんは、運転手にコインを数枚渡す。何か会話が交わされ、運転手は不満げにそれを受け取った。
きっと
「さっきぼったくったから今度はこれだけしか払わないよ」
「えー、そんだけ?ちぇ、しょうがねえなあ」
とか言ってるのだと勝手に解釈した。

お兄さんたちにお礼を行って別れる。(あ!タクシー代払ってなかった。ごめんなさい、ありがとう。)

民芸品市場をうろついた後、日の暮れる前にミラフローレスの中心部へ徒歩で移動。
リマの街を歩くのはこれが初めて。内心緊張しつつ、あくまで現地人になったつもりで堂々と歩けば、問題ない。
街は日本のごく普通の地方都市に似た雰囲気だった。

CDショップでフォルクローレのアルバムを買う。
公園の手作り市みたいな露店を見る。
屋台でインカコーラを買う。2ソル(62円)。まっ黄色い液体。
ショッピングセンターでお土産にコカ茶のティーバッグを探すが、見つからなかった。
よかった。日本に持って帰っていたら麻薬取締法で逮捕されるところだった。

公園のトイレでイケイケなリマっ娘を見る。ピチピチのGパン。ピアス。鏡の前でお化粧を念入りに。リマの人はクスコなどの田舎よりずっと白人との混血が進んでいるみたいで、小麦色の肌の西洋人的な顔立ちの人が多い。

腹が減ったので、オープンカフェで、夕食。海に近いので海産物のメニューを食うぞ。
憧れのセビッチェ(魚介類とたまねぎなどをあえた酢の物)と、カウカウデマリスコスはなかったのでチュパデマリスコス(海産物のスープ)、を食べる。



またもやセビッチェを3分の1も食べないうちに腹いっぱいで、残してしまった。

夜8時をまわった。いい加減疲れたので、空港に行く決心をした。
タクシー乗り場へ。一番先頭のドライバーは頑固そうな親父だった。
「空港までいくら?」
親父、無表情で「25ドル」
私「20ドル」
親父、無表情で「25ドル」
私「・・・ううう、わかった、はああ、オーケー」
もう、リマでは連戦連敗。今度はまあ、ぼったくりってほどでもないのでよしとしよう。

空港の両替所で最後のソルをドルに換えてもらう。
私が日本人で少しスペイン語が話せるとわかると、窓口のお姉さんがうれしそうに話しかけようとする、その瞬間に横からおっちゃんが俺が俺がと先に話しかけて邪魔する、繰り返すこと数回。おもろい掛け合い漫才のよう。リマっ子は明るいラテン系なのだ。
おっちゃんが日本語のテキストを取り出して、しばし日本語会話教室。私、ちょっと得意。

少し遅れて飛行機は出発した。さよなら、ペルー。また、くるよ、きっと。
しかし、眠い。日付変わってるもん。
なのに。
午前2時。機内食が出る。ディナーらしい。ううう、さっき食べたばっかりなのに。
でも食えるときに食う主義なので、食う。

 

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