4月1日(木) マチュピチュ見学(マチュピチュ→アグアスカリエンテス→クスコ)
早朝5時半起き。ボックスランチをもらって、バスで再び遺跡へ。 3時間ほどかけて説明を聞きながら遺跡内を見学する。 これまで見た遺跡とはやはり規模が違う。そしてすごい石組のワザ。
コンドルの神殿、すごい。コンドルの翼の形に斜めにそびえるごっつい岩と石組をぴったり組み合わせて迫力満点。
でも○○の神殿だと名づけたり、これは何につかう岩だとか、実は後から意味づけたものなのだ。だって誰もいなくなってしまったので言い伝えは何も残ってないのだから。 私は私なりに石組の美しい形、いい角度を見つけると写真を撮りまくる。いい。いいよなー。
遺跡内は飲食禁止のはずだったが、なぜかみんなで早弁。 コックさんが朝から用意してくれたランチの中身は、いつものパン(私のお気に入り、シンプルだけどおいしい)にハムや鶏肉をはさんだサンドイッチ、バナナ、ゆで卵、そしていつものおやつ。 まだ午前中なのに、半分くらい手をつけてしまった。
遺跡見学後のフリータイム、ワイナピチュ登頂に挑戦する。同行者はオージーのスティーブ夫妻とファン。 ファンがいたおかげで迷路のような遺跡も迷わずワイナピチュ登山口へ。転落死者も出たことのある険しい道なので、ゲートで名前を記帳する。 ファンに貸してもらったステッキと道の脇に張られたワイヤーにすがって登っていく。かなりきつい、確かに転落死してもおかしくない道だ。 やっぱり同行メンバーとは体力差があって、すぐにおいていかれる。ポイントポイントで待っていてくれるが、私が追いつくとすぐ歩き出すので、私は私のペースで歩く。あまりにきつくて写真を撮る余裕もなかった。(後で降りながら撮った) 汗びっしょり。
つま先しかかけられないような奥行きの狭い階段が現れた。
手足全部を駆使して這いつくばって上がる。ひやあ、とんでもない道。昔の人はきっとここをひょいひょいと飛んであがったんだろうな。こんな上にも遺跡の石組がある。いや、この階段自体、人が作ったものなんだよな。すごすぎ。
巨大な岩の斜面にロープがたらされていた。ロープ伝いに上がると大きな岩がドカンドカンと置かれている。頂上だった。登頂時間40分。 絶景。マチュピチュ遺跡全体が見下ろせる。 写真を撮ってもらおうと王座のような岩にすわってポーズ。写真の私はうれしそうに両腕を翼のように広げ、まるで飛んでいきそう。爽快!!
少し降りると、草刈作業している人がいた。ご苦労様。こんなところに毎日作業しに登ってきてるなんて、尊敬。
遺跡の脇に座って、マチュピチュを眺めながらランチの残りを食べる。 達成感で、ああ幸せ。 この旅で口にする言葉はいつも「サンキュウ」「グッド」「オーケー」。感極まると「ハッピー!」 いつもいつもホントにいい気分で幸せだった。 日本のふだんの暮らしでは忘れてたこんな言葉達。 言霊というけれど、自然とシアワセな言葉を口にすることでシアワセを呼び込むというのは真実だと思う。
ワイナピチュを降りてゲートでもどった時刻と感想を記帳。ジャスト2時間。いろんな国の人が書いていた。で、感想は「素晴らしい!」と漢字をきちんと使って書いてみた。
マチュピチュはもう十分堪能した。未練はない。遺跡のゲートを出た。 と、そこで、なんとクスコをガイドしてもらったフェリペさんとばったり会う。すごくなつかしい日本の友達に再会した気分。 「どうでしたか?」 「トレッキングすごくよかったですよ!まだまだ歩いていたい!マチュピチュもすごい!ワイナピチュも登りましたよ!40分で上がれました。」 「すごいですねー、元気。」 「ペルー、いいですね。気に入りました。また来たいー!」 久しぶりに話す日本語。うれしくて怒涛のように話す。 隣にいるファンにフェリペさんが通訳してる。 私がチャランゴやサンポーニャを知っていると、ファンがフェリペさんに言った。昨日のレストランでフォルクローレの演奏をしていたときにそんな話をしたんだった。 そこで、私は自作のケーナまで持っていることをフェリペさんに話した。フェリペさん、驚いていた。ちょっと自慢。 昨晩はそんなささいな話も英語にするのが億劫でファンには話さなかったのだ。 言葉が使えるっていいなー。
ファンと2人でアグアスカリエンテス行きのバス乗った。 ファンの知り合いが同乗していた。ハポネサという単語が耳に入ったので、またまた「ソイハポネサ」と言ってみた。よしっ、通じた。「Mucho
Gusto(ムーチョグスト)」(初めまして)と言われたので「Encantada(エンカンターダ)」(初めまして)とNHKラジオ講座の例文通りの会話をする。キマッタ! が、バスに乗っている間、ファンとはほとんど会話なし。いつも陽気なファンも私には何を話していいか困ってたんだろうな。ああ言葉がもっと使えたなら。
アグアスカリエンテスにもどってきた。3時半までずいぶん時間があるのでブラブラしてお土産など探してみる。 いいアイデアが浮かぶ。 そこここに駄菓子屋があり、1つ0.5ソル(=15円)くらいのチョコレートやビスケットがいっぱい並べられていた。それらをバラバラに買い集めて、教室の生徒や友人へのお土産にすることにした。余ったら自分のおやつにもしちゃえるし。 (実際、かなりの量、自分のおやつにしてしまった)
温泉街をうろうろ、隅から隅まで歩き続けた。狭い街なので、あちこちの食べ物屋でくつろいでいるツアーの他のメンバーに何度も遭遇したが、そのたびに誘いを断って、独りうろうろ。ランチはさっきすませたんだからそんなに食べなくてもいいではないか。私はもっともっと見たい。
線路沿いには土産物屋が軒を並べてる。ちょっと奥の広場も露店の土産物屋だらけ。 インカの神様達が刺繍されたタペストリーがちょっといいなあって思って、ちらって見ていると、押しの強いおばちゃんが150ソルを100ソルにするという。えー、私買うなんて言ってないもん。 私の煮え切らない態度に、おばちゃん、「オ客サン、イクラナラ買ウノ?イクラ?イクラ?」と日本語で押しまくる。 そんな押されても、こっちは別にいくらでこれを買うなんて決めてない。 ソルとドルと円のレートが頭の中でグチャグチャ。こういう計算は弱いのだ。ソルで交渉していたが、財布にドルしかないことに気づき、ドルだといくらか聞いたら、おばちゃんは30ドルだと言った後、こっそり隣の店のおばちゃんに舌をぺロッと出したのを私は見逃さなかった。ソルの方が得らしい。が、ドルしかないのでそれで買った。
集合時刻の3時半になり、駅へ。さっきのおばちゃんの店のそばを通る。なんとなく目を伏せる。 インカレイルに乗る。隣の車両はきらきらした豪華列車。私達が乗るのこちらの車両はバックパッカー仕様のようだ。4人向かい合わせの席で日本の田舎のJRの感じとそう変わらない。
列車はウルバンバ河沿いにゴットンゴットンとゆっくりクスコへ向かう。窓から見上げる風景は、あれは私が歩いてきた道かな、あそこは、あそこは・・・とトレッキングの記憶を呼び戻しながら、列車はゴットンゴットン私を運んでいく。旅の終わりをゆっくり感じていく。さみしいよー。
電車の旅は予想外に長かった。日が暮れ8時になってもまだ着かない。腹減った。そうか、それで皆さん、ランチがすんだ後にご飯食べてたのね。律儀に食べずに土産物を探し回っていた私は、日本人。じっと我慢。
クスコの手前、ポロイで電車を降り、バスに乗り換える。線路がクネクネしていて、そこからはバスの方が早いそうだ。1時間ほどで、クスコに帰ってきた。 順番に各メンバーの泊まるホテルに寄って、そのたびに別れの挨拶を。バスの中はだんだんと寂しくなる。 私のホテルは最後だった。 ファンと抱き合って「サヨナラ!」「adios!」お互いの言葉でお別れの挨拶。楽しい旅をありがとう。 リチャードとダイアンとも部屋の前で、挨拶。みんなは「ブルーベリーラウンジ」にもう一度集まって飲むらしいけど、今から一時間後ということなので、遠慮した。私は明朝早くリマへ発つのだ。
お腹ぺこぺこ。すぐに街へ出る。腹が減りすぎて何を食べたらいいんだか。 客引きのおじさんが声をかけてくる。「comida de cuzco?」(クスコ料理?)と聞いたらそうだというので、なりゆきで、今日もクスコ料理。せっかくだから。店の名前はLa
Estancia
Imperial。 料理を頼むとフリーバイキング形式のサラダがついてきた。おお、いい店じゃん。 今日は、食べたかったsopa
criolla(ソパクリオジャ/肉とにゅう麺みたいなパスタ入りのスープ)と、chicharron
pollo(チチャロンポジョ/鳥の唐揚げ)。それにクスケーニャも頼んだ、最後のクスコの夜だもん。 クスケーニャを飲んだら、すっかり気がゆるんでしまった。荷物の整理は明日にしよう。 食べる方はスープでもうかなり腹いっぱい。chicharron
polloを半分も食べないうちに、これはもう無理だと思った。おいしいが、お腹の容量の限界があることを先日身をもって知ったばかりだからなー。 せっかくだから頭にインプットしておいたスペイン語。「para
llevar.(お持ち帰りで) La
cuenta(お勘定)」と言ってみたら通じた。 持ち帰っても食べきれる自信はないが。お勘定をすませたが、お持ち帰りのものをいつ持ってきてくれるんだろう。よくわかんない、面倒くさい。そのまま聞かずに店を出た。 あー、もったいない。あれ、今あったら食べたいよー。 |