3月31日(水) インカ古道トレッキング最終日−マチュピチュへ
夜明けにトイレに出てみれば視界は霧で真っ白だった。 霧雨の中、ポーター達はそれぞれブルーシートをかぶってポツーンポツーンと座っている。彼らにはテントはないのだろうか? 昨晩の続きではないが、地位の差を考えてしまう。トイレのテントまで建ててもらって何もかもお世話してもらっている私達と、ブルーシートで雨をよけるポーター。その分、お金を払っているから当たり前のことではあるのだけど。
朝食後、スタッフ達とのお別れ式。気づけばポーター達はみな赤いポンチョと帽子で正装している。 スペイン語の一番できるツアーメンバーが代表してお礼の言葉を読み上げ、順番にチップを渡していった。 ポーター、コック、ガイドのネディとは今日でお別れなのだ。 ネディと抱き合って名残を惜しむ。日本じゃこんな挨拶はしないが、自然とできた。胸キュン。 全員で記念撮影。皆のカメラをとっかえひっかえ何枚も何枚も。
もうホントに今日が最終日なのか。早すぎる。まだまだ歩いていたいよ。
4日目ともなると、もうすっかり余分な力は抜けてきて、無理して英語を考えるのはやめた。歩きながら出る言葉は「ヨイショ」、「おっと」、「だいじょぶだいじょぶ」。もう自然に口に出る日本語でいい。 それでもニュージーランドの男の子ジョシュアが私に話しかけてくる。 「ユキ!でっかいミミズがいるよ。」「オーキッドのこと日本語で何ていうの。」「スシ好きだよ。」・・・
PHUYUPATAMARCA(プユパタマルカ)遺跡。6つの貯水槽が印象的。急な地形に合わせ曲線を描く石壁の要塞。霧のため見晴らしは全くないが、しっとりした光景がステキ。
遺跡に出会うたび、私は意味もなく、この形かっこいい!と思ったらその角度から撮る。 日本に帰国した後写真をアルバムに整理していったが、ほとんどボツはなかった。全てのものが日本で見られない光景だったから。
歩いていくほどにどんどんと高度は下がっていき、植生がジャングルっぽくなってきた。珍しい蘭の花がいくつも現れ、大きなシダ植物が生い茂ってきた。野生のレモンの枝をこすったらホントにレモンの匂いがした。ルピナスの群生。
木々の隙間からウルバンバ河がかすかに見えた。トレッキング出発の日に渡ったあの河に再び近づいてきたのだ。
INTIPATA(インティパタ)遺跡。 むちゃくちゃ急な斜面にテラスという段々畑状の石組。角々した典型的なスタイル。私は陶芸で四角いモノを結構よく作るが、それってもしかしてインカの石組?前世はインカの飛脚??なんてね。 朝から曇っていたけど、雲の隙間に青空が見えてきた。
WINAYHUAYNA(ウィニャワイナ)に到着。 水洗トイレとひなびたレストハウスがあった。これまでずっと山の中で、出てくる建物といえば遺跡のみだったが、ひさしぶりに現代の建物を見た気がする。いよいよ文明の地に近づいてるようだ。 レストハウスでランチの後、荷物を置いて、遺跡を見に行く。
ウィニャワイナは「永遠に若く」という意味だそうだ。そう言われると、なんとなく若い感じの、さっぱりしてかわいらしいキュートな遺跡だった。急なテラスを降りていったところにある住居跡の形がかわいらしいのだ。用水路もきちんとしていて生活の質が高かったんだろうな。 降りてきた階段を再び戻る。またハアハア息が切れる。よれよれしながらてっぺんにたどり着くと、一歩先に上がったファンが「オッキドッキ!」とふざけてステップを踏んで余裕を見せやがった。むー、悔しい。それにしても「オッキドキ」って何だろう。しょっちゅう彼の口から聞いたが。
ウルバンバ河はもうはっきりと見下ろせるようになってきた。道が平らになってきた。空は晴れ、陽射しが熱い。
INTIPUNKU(インティプンク)遺跡へ上がっていくと、突然視界が開けた。 眼下にMachupicchu(マチュピチュ)遺跡が見えた!
そう、ここはマチュピチュの門なのだ。 険しい山の斜面にくねくねと描かれたヘアピンのバス道路。その尾根にマチュピチュの遺跡がへばりついていた。その先に連なるワイナピチュ。 あの!あの憧れのマチュピチュを、私は今、目の前に見ているのだ。 歩いて歩いてたどり着いた、憧れの場所! うぉー。今泣けって言われたら泣けるよ、簡単。 うれしくって、うれしくって。Happy!
Wonderful! Amazing!
皆で感動を思う存分かみしめた後、最後のトレッキング。遺跡までの道を意気揚々と歩いていく。 リュックを背負い杖をついてインカトレールから降りてくる私達。 バスでやってきて階段を登ってくる観光スタイルの人々。 すれ違うとき、ちょっと気分がいいぞ。へへん。
リャマがいた。写真を撮る。観光用に連れて来られたものらしい。 マチュピチュのよく見かけるパターンの写真はここから撮られているというポイントで、やったぁー!と万歳ポーズをとって記念撮影した。
遺跡のゲートへ。パスポートにマチュピチュのスタンプを押してもらった。宝物。
バスに乗ってヘアピンカーブの九十九折を降りていく。 あの有名なグッバイボーイがいた。 インカ時代の飛脚チャスキの衣装を着て、「グゥーッバーーーーーーーーーイ」と叫んで手を振る。バスがカーブを曲がって降りていったところに、先回りしてまた現れ、「グゥーッバーーーーーーーーーイ」、またしばらくして「グゥーッバーーーーーーーーーイ」という具合。ガイドブックによると山を降りたところでバスに乗ってきてチップをもらうそうだが、山を降りる頃にはいなかった。間に合わなかったのかなー。
バスはAguasCarientes(アグアスカリエンテス)の街へ。「温泉」というそのままの名前がついた温泉街。川の一番奥が銭湯になっていて、その沿道にピザ屋、レストラン、貸し水着屋、駄菓子屋、ホテルなどがひしめいてる。
レストランpueblo
viajoで荷物を預け、銭湯へ。緑色の池みたいな温泉プール。 4日ぶりの入浴だ。さっき買ったシャンプーで頭を洗って、すっきり!気持ちいい。
風呂上りは、レストランにもどってディナーだ。 ペルーに来て初ビール「クスケーニャ」を飲む。おいしい。ペルーの飲み物食べ物全ておいしい。 トマトスープ、アルパカステーキも食べた。デザートにフルーツの入ったチョコがけの豪華パンケーキ、んーー腹いっぱい、シアワセ。 フォルクローレの生演奏もあり。 アルコールも入って皆で盛り上がる。乾杯!サルー!チァース!3ヶ国語グチャグチャだ。
向かいに座っていたリチャードに仕事は何をしてるのかと聞かれた。 あ、そうか、私、必要な言葉以外ほとんど無口できたから謎の日本人なんだろうなー。 アーティストであるとは言い切れる自信がなくて、「ポタリー」と少しおどおどしながら答える。 うまく通じないみたい。メモに「pottery,ceramic・・・」と書いてみたら、意味は通じたみたいだけど、やっぱりそんな仕事で食えるの?みたいな顔をしている。 という風に見えるのは、自信のなさから来る私自身の思い込みかもしれない。 それで、「今はあんまり金が入ってこないけど、以前はシステムエンジニアだったので貯金があるのだ」と付け足した。 すると、納得の表情。ダイアンが「今はストレスはないでしょう」と言った。そういう返事が来るとは思わなかった。カナダでも仕事の環境は同じようなんだな。 もっと自信もってI
am a ceramic artistと言えるようになりたい。
食事に満足した後は、マチュピチュのふもとのキャンプ場へ、真っ暗な夜道を懐中電灯で照らしながら帰る。後ろに街の明かり。こういうのも楽しくっていいじゃない。
テントにもどると。あ、やっちまった、マットがない。 今朝、ファンがキャンプ最終日はダッフルバッグからマットを出しておけという説明していたが、今日を最終日と勘違いしてやっちまったのだ。ファンを呼ぶ。 「I
forgot my mat」 マットの何を忘れたって? 一所懸命、頭の中で英文を組み立てる。「In this morning I
forget to put my mat into the daffulbag.」
冠詞は無視。 わかってもらえた。いちいち言葉が大変だ。英語、スペイン語がもっと話せるようにならなくちゃと、この旅で真剣に思った。 そばでたった今までサブコックの使っていたマットをとりあげて、私にくれた。コックさんのは・・・?いいのかなー。他にあまってるのあるかな。ごめんね。
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