ペルーに行ってみた。
インカ古道トレッキングでマチュピチュへ。

3月30日(火) インカ古道トレッキング3日目-個人的大事件発生

昨日が一番きつい日だったと聞いてほっとする。今日は下りが多く楽みたい。
しっかり寝て目覚めたら昨晩の高山病も治っていた。めっちゃ元気!脚は全く痛くない。心肺機能は普段の鍛え方が足りてないけど脚力には自信あり。
朝食もおいしくいただく。朝から腹いっぱい。

歩き始めてすぐRUNQURAKAY(ルンクラカイ)遺跡が現れる。馬蹄形の見張り台。



気がつけば第2峠。標高3950m。
帰国後、地図でその数字を見てもフ〜ンって何の感慨もないくらい普通な感覚であった。昨日の峠のきつさに比べればちょろい。

霧雨の中、ブルーシートをかぶったポーター達の姿が遠くに見える。



道はどんどん下っていく。石の階段が続く。

道は楽なのだが、腹の調子が悪くなってきた。やばい感じである。
道中長い区間トイレがないときはbehind the bush(草むらの影で)でやれと言われていたので、もう頭の中は"behind the bush" "behind the bush" "behind the bush"で満タン。風景を楽しみ写真を撮ったりしつつも必死に視界のどこかにbushを探している。なかなか使えそうなbushがない。やばいよ〜。

もうだめだという時、岩陰を見つけた!イバラのようなトゲが服にひっかかるも気にせず、猛ダッシュ!
が、やや少し間に合わず・・・。ああ、こんなときにこんなところでこんなことを起こすとは!困ったチャンなのだ。
必死でトイレットペーパー(携帯しているのだ)で拭いて拭いて、どうにか処理する。拭いたはずなのに、周りに繁る草木でまた汚れたりして、被害が拡大してしまう。
道からツアーのメンバーがだいじょうぶかー?そっち行こうかー?と声をかけてくれるので、頼むから「Don't come! Please wait!!!!」と叫ぶ。焦る焦る。時間がかなり経った気がする。

どうにかこうにか始末をした。空気が薄いせいか食べ物が違うせいか、気になるほど臭わない(気がする)。覚悟を決めて、道にもどる。

リチャードが薬をくれた。ありがとう。
心配したジュディが近づこうとしたので、とっさに「Oh!I'm dirty.」と手で制止したら、だいじょうぶbabyの時はみんなそんなだったんだから気にしなくていいのよ、みたいなことを言ってくれた。母なのだ。ありがとう。気が楽になった。
皆心配してくれて恥ずかしいけどありがたい。皆とっても親切な人たち。
気を取り直し、また元気よく楽しく歩いていくことにした。それがみんなの親切に答えることだし、この旅を楽しむことが一番大事なのだから。それでいいんだ。

SAYACMARCA(サヤクマルカ)遺跡。石組の壁と階段が迷路のようだ。



ガイドのファンの説明を聞いていると雨がどんどん降ってきた。カッパは遺跡の下においてきた荷物の中だ。結構寒く、濡れると風邪をひきそうな感じだったので、途中で抜けて荷物のところまで戻った。うーん、ちょっと惜しかった。

このインカトレールを歩いて、マチュピチュだけが遺跡ではないと知った。
道の途中あちこちに点在する遺跡。
インカ時代、そこでどんなふうに人達が暮らし活動していたのだろう。今はそれを継ぐ人影もなく草生した石組が静かに建っているだけなのだが、それは確かにその時代の智恵の痕跡そのものなのだなあ。じっと見ているとなんとなく胸がキュンとしてくるのだった。

また歩き始める。
雲だか霧だか雨だかわからないけど、いつも湿っている地帯なのだろう。
コケや地衣類や木に寄生するモジャモジャした植物、竹などがたっぷり繁っている。


インカトンネルと呼ばれる自然岩の隙間の中の階段などを通り過ぎ、



写真をいっぱい撮り、14時半、キャンプに到着した。標高3650mの第3峠を超えた辺りだ。

今日は時間が短く楽だったけど、個人的には大事件だった。
優しいジュリアンが水分補給の薬をわざわざテントに持ってきてくれた。ほんとうに、みんな、ありがとう。
でもでもね、たぶん原因はただの食べすぎなのだ。ごめん。気をつけよう。

ティータイム後、数人で雲海に沈む夕日を見る。青黒いアンデスの山々、雪山も見える、白い雲海、その向こうにゆっくりと光が消えていく。



おしゃべりは生贄の話題になった。
ガイドのファンによるとチチカカ湖辺りでは今でも人間の生贄の習慣が続いているそうだ。家族の一員を生贄に差し出すことは名誉なことだそうだ。
壁のくぼみにミイラを飾って家のお守りにするなどの習慣もあったそうだし、ペルー人は死を忌まわしいものではなく身近に考えているのだろうか。

インディヘナの血をひいているガイドのネディが自分の祖父の話をした。
祖父の家の窓のところにシャレコウベが飾ってあるので、何なのか聞いてみたそうだ。すると、あれは私のお母さんだよとお爺さんは答えたそうな。
わああー。怪談ではないが、ちとコワイ。

寒くなってきた。フリース2枚を着込んで、毛糸の帽子をかぶって。今晩は一番冷えそうだ。

英語があんまりできなくて頑なになっていた私のココロも、だいぶん打ち解けてきた。
ディナータイム。盛り上がる会話もあまりヒアリングできないまま今まできたが、ふと"riding"という言葉が聞こえてきて、ん?と私は反応した。
リチャードに"Are you riding a motercycle?"と聞くと、昔乗っていたと言う。
しめた!っと私は調子に乗った。
"I have a KAWASAKI" "I have been to Australia for riding from Brisben to AersRock"と文法はテキトーに言ってみた。
何ccに乗ってるのかなどと聞かれ、曲がりなりにも会話がなりたった。
ふと見るとチャールズの帽子はハーレーダビッドソンだった。おお、ライダー同士じゃん。
それまでの会話は、「○○は日本語で何というのか」というような、私が日本人だからというだけの会話しかできていなかったので、初めて同じ人間同士の会話ができたような気がする。

明日はいよいよトレッキング最終日だ。ディナー後、明日ポーターやコック、ガイドに渡すチップを皆で割勘で集める。この時初めてツアースタッフの全貌を知った。ポーターが25人、コック、サブコック、ガイドのファン、サブガイドのネディ。合計31人で私達14人にサービスを提供してくれていたのだ。

チップの額で西洋人が考えるスタッフの地位もわかってしまった。
ガイドとポーターの差。ガイド(男)とサブガイド(女)の差。
地位の高い者から低い者へチップを「与える」って習慣そのものもそういうことを表してるんだろうな。西洋社会での職業の地位って厳然たるものがあるのだろうと推測する。
このツアーに参加してる人たちはかなり上の地位の人たちなのだろうな。
陶芸家の私ってどう思われるだろうか・・・。

 

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