3月27日(土) 聖なる谷巡り(クスコ郊外-チンチェロ・オリャンタイタンボ・ピサック)
夜はよく眠れたが、何度か脈がドキドキして目が覚めることがあった。高山病の症状らしい。普段から時々ある偏頭痛も出たが、朝にはどうにか治っていた。
朝、ホテルのロビーで、明日から始まるトレッキングのガイドが来てくれて、説明を受ける。フェリペさんが通訳をしてくれる。 「ハウドゥージュードゥ(How
do you
do)?」とガイドのファンが英語で言った(のだと今思う)。 「え?」と私。 何度か繰り返すがよくわからない。他の言葉も結構聞き取りにくい。 スペイン語なまりで「you」を「ジュー」と発音するのはわかっちゃいるけど、そんな急に頭の中で変換できないよ。 ファンがだいじょうぶかこいつはと言わんばかりの心配そうな顔をした。 ツアーの他の参加者リストを見ると、私以外全員が英語圏の国の人だ。そりゃそうだよなー、英語のツアーだから。 コースや用意する物の説明を受け、トレッキング中にポーターに運んでもらうためのダッフルバッグとバネ秤を受け取る。バッグに入れる荷物が10kg以内になるよう今日中に用意するのだ。だいたい、日本で予習しておいた通り。いよいよ本番が近づいているのだなあ。
今日はフェリペさんと車で聖なる谷巡りに行く。私一人だけのためにガイドと運転手がつくなんてぜいたくだよなー。 クスコの街を抜け、坂をどんどんあがって郊外へ。家々の様子が変わってきた。 アドベという日干し煉瓦でできた家だ。地面も家も同じ赤茶色だ。壁を白や黄色に塗っている家もあるけど、中身はアドベでできている。崩れた家や作りかけの家もあって地面との境目もあいまいで、そういういい加減な感じが気に入った。 崩れていたりボロボロになっている家も多いが、その古び方がいい感じなのだ。
チンチェーロというのどかな村に着いた。 石畳の路上で犬が昼寝をしている。インカの石組の上に立つ白い教会。 民家の屋根の上に、沖縄のシーサーのような牛がいる。
まるで道案内してくれているような犬の後をついて坂をあがっていくと、その奥の緑の庭では、おばちゃんたちが地べたに土産物の織物の店を広げていた。 さらにその奥には広い広い遺跡があった。 「聖なる谷」と呼ばれるとても豊かな土地だ。遠くまで段々畑が続いているのが見える。遺跡は石組が段々になっていてその上は草原。無数の小さな黄色い花が咲いていたりして、お昼寝したくなる。気持ちいいよー。
土産になりそうなものはないかと織物をちょっと本気で見てみる。 売り子には小さな女の子もいる。かわいい上目遣いで、5ソル(155円)と言っていたのを無視していたら3ソルに値下げしたりして、必死だ。 今まで物売りに声をかけられても「ノー」一点張りでほとんど無視してきた私。 勝手に物乞いと同列に思いこんでたけど、思い返すと物乞いを見かけた記憶がない。 みんな一所懸命働いているのだ。無視する理由なんかなかった。私がバシバシ撮りまくって消費してるこのカメラのフィルムの値段とこの子たちの売るものの値段のことを思うと、そんな写真1枚撮るより土産をどんどん買ってあげたらいいのだ。生まれた国が違うだけで、それぞれこういう立場になっているだけのこと。
フェリペさんが織物を売っている小さな女の子に何か話しかけたら、女の子は気まずそうな顔をした。 聞いてみると、女の子はケチュア語を話すのは恥ずかしいと思っていて、フェリペさんがお説教しているようだった。子供たちは元々ケチュア語を話しているが、学校でスペイン語を習って、ケチュア語を忘れていくそうだ。どこの国でもなくしたくない伝統はこうやってなくしていくのだろうか。
陽射しがあまりにきつくて目が痛くなってきたので、ついにサングラスをかける。普段はかけないんだけど、いざというときのため成田で買っておいてよかった。いざというときがきたのだ。
オリャンタイタンボへ。 オリャンタイタンボといえば、以前NHKのスペイン語会話の番組で出てたあの遺跡だなあ。番組ではペルーのある小学校の先生が生徒達を連れて遠足に来て、この遺跡を通じて、先祖の誇りを受け継ぐように教えていたような記憶がある。その意味が実際に見てみてわかった。
ここの石組もすごいものだった。 石と石のかみ合わせの部分を指で触るとツルツルしていた。曲線のかみ合わせなのにぴったり合っているのは、すりあわせて合ったわけじゃなく(巨大な岩だもん、無理)、すごい数学があったということ。
春分の日や夏至の日などに谷のある部分に山の隙間から日が差すという日時計。 リャマの形に作られた遺跡。 向かいの山には荷物を背負ったビラコチャ神の姿が。
地形に合わせて計算しつくして街を設計し、人力で遠くから石を運んできたという。 今ではその天文学も数学もいろんな技術もみんな謎に包まれて、遺跡の石組だけ残してインカはどこかに消えてしまった。 文字を持たなかったというけど、ほんとかなあ。何か絶対ヒミツがある気がする。
ピサックで遅めの昼食をとる。レストランのベランダで露店の市場を見下ろしながら。観察してるとおもしろい。
民族衣装を着た女の子3人組が、小脇にマンタにかわいい子犬を入れて、観光客に写真を撮らせて、ちゃっかり稼いでいた。 露店の食べ物屋の脇でおこぼれを待ち構える犬。 コカの葉をつめた袋を売るおばちゃん。 犬のけんか。 泣く子をなだめるお父ちゃん。 ○○薬品工業などと書かれた日本車がよく通り過ぎる。
フェリペさんの持っているペルー風の肩掛けカバンがかっこよくて私も欲しくなってしまったので、露店市で探すがなかなか質のいいものがない。ほとんどが土産物用に作られた安っぽいものだ。 市から離れて、フェリペさんが昔そのカバンを買ったというアンティークショップに行ってみた。土器なども無造作に置かれている。 いい感じのカバンを見つけたけどちょっと高いなあ。織りの目が丁寧で滑らか。やっぱりいいものはいいとわかってしまう。買っちゃった。やったー。ふふふ。
再び車で走り出す。田舎道をひたすら。 途中、何度も犬や人が飛び出してきて、危なかった。 一度など犬が車を見てわざわざ飛び出してきて、急ブレーキ!思わずフロントガラスから目をそらす。 私は座席から落ちてつんのめった。 ギリギリ轢かずにすんだようだった。気をつけてよ、犬!
途中、織物を実演している観光村のようなところに寄る。 牧場に毛糸の原料になるアルパカやビクーニャがいた。 わらぶき屋根の日よけの下で各地の村から来た女性達がそれぞれの織物を織っていた。
彼女達の服や帽子の形はみんな違っていて、織物の模様も村ごとに全く違う。織機というほどのものでなく、地面に打ち込んだ杭と腰の後ろにまわした帯との間に織物を渡した簡単な道具を使っている。何の見本もなく複雑な模様を手探りでチャッチャと織っていく。すごくきれい。この織物の模様が文字の代わりだという説もあると言う。 織物は安くしか売れないので彼女たちは働くのがイヤになってるとフェリペさんが嘆いた。 消えてほしくないホンモノの手仕事の美。私自身の仕事のことも重ね合わせて考えて・・・。
夕方、クスコに戻る。フェリペさんともこれでお別れだ。 本当にお世話になったので、慣れない調子で「気持ですから」と運転手さんよりは多目のチップを無理やり渡す。フェリペさんは「私もチップの習慣がないので・・・」と慣れない様子で受け取ってくれた。なんだか感謝を表現するのにたったそれだけのお金で済ませてしまって申し訳ない気がした。 「アディオス!」
今晩もクスコ料理レストランに行ってみる。今日はpucaraへ。コカ茶と、Crema de
tomate(クレマデトマテ/トマトのポタージュ)、arroz con
pollo(アロスコンポジョ/鶏チャーハン)にしてみた。 フェリペさんに食べ物の話を聞いたとき、彼がarroz con
polloのことをほんとうにおいしそうに「じゅるる」ってよだれが出そうな感じで話していたので食べたかったのだ。 今日もスープだけで結構腹いっぱい。でも今日も平らげてみた。あーおいしかった、シアワセ。
ホテルに帰り、トレッキングの荷物をダッフルバッグに詰めていきながら、明日への期待はどんどんと高まっていく。
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