3月26日(金) クスコ市内観光(リマ→クスコ)
朝、約束の時間にホテルのロビーで待つ。半袖のTシャツでもちょうどいい気温。 やや遅れて現地ツアー会社「PAT」の車が来た。 乗り込むと、何人も西洋人の旅行客が乗っていた。この人達は?トレッキングツアーの同行者って感じじゃないな。みんな英語でおしゃべりしていたがほとんど聞き取れないので、私は一人あいまいなジャパニーズスマイルを浮かべる。
空港に着き、クスコ行きに乗る手続をする。どうやら西洋人チームと一緒に飛行機に乗ればいいみたい。とりあえず一緒にひっついて行動する。
クスコへは1時間ちょいのフライトだった。 飛行機はいったん海の上に出て、赤い土肌の山脈(リマは砂漠の中の街なのだなあ)、そして緑のゴツゴツした山脈の上を飛んでいく。白い雪をかぶった山も見える。 窓から差し込む日差しはきつく、腕がヒリヒリ、目が痛い。
昼前のフライトだったが軽食がでた。スチュワーデスに飲み物を聞かれ、「jugo(フゴ)!」(スペイン語で「ジュース」の意味)と言ったら通じたのでうれしかった。 が「オレンジ オア ピーチ?」って英語で聞かれた。見抜かれてる。
飛行機は高度をさげ、緑のパッチワークのようなのどかな田園風景の上を通り過ぎ、家々がみな茶色い街に降り立った。標高3360mの街、クスコ。
いよいよ来たんだ!気圧は飛行機から出たところで下がるのかな。いつ気圧が下がったのか判然としないが、高山病が怖いのでなるべくそーっと動いてみる。 空港を出ると、私一人だけ西洋人チームとは別の車に乗せられて、あれー?って感じで特にさよならさえ言わずに別れた。
クスコの街はリマとは違って、いかにも南米風で、やはり全てが珍しい光景だったので、車窓から写真を撮りまくる。けばけばしい赤やピンクのマンタ(ペルー版の風呂敷)で大荷物を背負ったいかにも現地人的なおばちゃんが歩いていたりすると、おおおっといちいち感激してしまう。建物のラフな感じもステキ。日本と違ってなんとなく開放的な雰囲気なのだ。
着いたホテルはEl Dorado Inn。雰囲気のあるスペイン調の内装にまたまたシャッターを切る。
ロビーのソファーでコカ茶をいただきながらガイドの説明を聞く。気づけば少し頭がクラクラする。これが高山病ってやつか。高山病に効くというコカ茶は薬草茶風の味でおいしかった。
ボーイさんが荷物を部屋まで運んでくれたので、緊張しつつ初チップの1ドル札を渡してみた。すごく喜んでくれたのでほっとした。
2時に日本語ガイドが来てくれるまでは部屋で休む。旅に出る前に予習しておいた通り、高山病対策で部屋に入ったらそのままベッドに倒れこんで寝てみた。熟睡・・・。
2時3分前、そろそろと準備していたら、部屋の電話が鳴った。 こんな時は何て言うんだっけ?緊張しながら「ハロー。」 「もしもし、ガイドのフェリペと申します。」と返ってきた。あら、日本語だ。 ペルーの人は意外にもきちんと時間を守るのだった。
さあ、今日はこれからクスコ市内観光に出発だ。 高山病対策のためだらだらゆっくりと歩き始める。さすがにちょっとした上り坂でも息切れする。
コリカンチャ(太陽の神殿)の前で。
犬が寝転んでいたので写真を撮る。とフェリペさんが「ワンチャン、死んでますね。かわいそう」と言う。 え?動いているじゃん、と、びっくりしてよく見ると、犬のお尻のそばには糞がたまっていて、犬はピクッと痙攣しているのだった。もう一頭の仲間が寝転んでいる犬をなめてやったりしている姿が、状況がわかってしまうと憐れに見えてくるのだった。 観光地のそばで犬が死にかかっている。死ぬ自由!そう犬にだってどこででも死ぬ自由があるのだ。野良犬を排除してしまった日本の窮屈さを思う。 この後も何度も犬を見かけたが、皆ニンゲンのことなんか無視して、ニンゲンと同じように家を自由に出入りし、道の真ん中で昼寝し、のびのび生きていた。 もちろん、首輪なんてどこにも見かけなかった。いいよね、ペルー。自由な国。
予備知識をほとんど持たないままコリカンチャに入る。 フェリペさんの説明を聞き、インカの悲しい歴史とインカの誇りを同時に感じた。 クスコはインカ帝国の首都で、コリカンチャはその中心の神殿だったのだ。そして、コリカンチャはサントドミンゴ教会でもある。 というのはスペイン人が侵略してきて、コリカンチャを壊してその石組の上に教会を建てたからだ。しかし、地震が来たとき教会部分は壊れ、インカの石組はびくともしなかったそうだ。 石組は端正で、凛として美しかった。
インカの石組の残る路地を通り抜け、民芸品店街を抜け、ゆっくりゆっくり坂をあがっていく。 私の息もあがっているが、フェリペさんもそうとうあがっている。彼は昔はインカトレッキングのガイドをしていたが、年をとって引退したという。
坂をあがったところはサクサイワマン遺跡だった。
クスコの街が見渡せる。街はピューマの形に作られていて、この遺跡が頭、町の中心にあるアルマス広場が胸にあたる。すごいねー。眺めもすばらしい。ひろーい遺跡の石組のダイナミックさもすごい。
6月にはここでインティライミという太陽の祭が行われるそうだ。あーそれも見てみたい。
遺跡の石に座る人に「アミーゴ!」と声をかけ、さりげなくたしなめるフェリペさん。 彼の話や態度からインカの誇りを度々感じさせれらた(ちなみに「インカ」は王族のことで、一般大衆は「ケチュア」ではあるらしいが)。 目がくりくりしていて、私の目をじっと見て静かにしゃべる。同じモンゴロイドの親密感か、その顔を見てるだけで、いい人だなあと思う。大阪に住んでいたこともあるそうで、大阪のペルー料理店の話などしてますます親近感を感じた。
石のそばに私の好きなイヌフグリの花が咲いていた。これを見るとああ春が来るんだなーと思っていつもうれしくなるのだ。とフェリペさんに話すと、ペルーでは一年中咲いていますと言われた。
サクサイワマンを後にして坂を再び下りていく。リャマ数頭に遭遇。 シャッターチャンス!写真をとったら、リャマ遣いのおばちゃんが金払えと怒ってる様子。 フェリペさんがケチュア語で話してる。「お金払わないといけなかった?」と私が言うと、フェリペさんは「お金をあげたら働かなくなるからいいんです」と言った。
坂を下りていくと、夕立が降り始めた。狐の嫁入りみたいな感じ。これが雨季の雨か。フェリペさんはすぐ止むからと気にも留めず普通に歩いていくので、私も仕方なくカッパも着ずについていった。
街を抜けて市場へ向かう。周りにはブルーシートの屋根の露店がいっぱい。飛行機の上から見えたブルーシート群はこれだったのね。地震の跡かと思ったよ。 市場に入ると。すごい!何でもある!八百屋、花屋、チーズ屋、ジャガイモ屋(何種類も)、「フランダースの犬」に出てきたようなでかい金属の牛乳?缶が並んでる店、秤屋、土器屋、スープ屋、怪しい動物の干物がいっぱいぶら下がった店とか・・・。 観光者向けではなくまさしく地元民の台所という感じだった。
フェリペさんはある果物屋の前でジュースを飲みましょうと言った。 生ジュースをその場で作ってくれる店だ。 お腹だいじょうぶかなあと思いつつもこれはチャンス!絶対チャレンジしようと思った。 果物はみんな新鮮でおいしそう。店のおばちゃんがバケツの水で包丁を洗ってるのを見て、少しドキドキしながら。もしもお腹を壊したら全部出しちゃえばきっとすぐ治るはず(と思うことにしよう)。 名前で選んだ果物は飲んでみればグレープフルーツだった。 すすめられるままにニンジンのジュースも飲んでみた。甘い!おいしい! お勘定は4ソル(124円)というので払ったら、フェリペさんに御馳走になりましたと言われた。ちゃっかりしてるなーと思いつつ、でもチップ代わりだと思うことにした。 でも後で路上で売っていたサボテンの実(果物なのだ、甘くておいしい)を買って中身をわけてくれたり、翌日もパンをわけてくれたりして、やっぱりいい人なのだ。
夜はずいぶん冷え込むが、今の日本よりは少し暖かい。 長袖シャツにコートを着込んで、ひとり夜の街をうろつく。 街の中心のアルマス広場は、ライトアップされて、たくさんの人々がなんとなく所在なげにぶらぶらしていた。
夕食にフェリペさんから聞き出したお薦めの店Ami
Maneraに行ってみた。 チチャモラーダ(紫トウモロコシのジュース)だけは絶対はずせない。 あとは店員さんのお薦めでオルヒヤデパパス(これは多分私のヒヤリングミスで、おそらく"hornea
de
papas"かな)で、地球の歩き方に載っていたロモサルタードを頼んだ。
オルヒヤデパパスが運ばれてきてびっくり。 皮付きのまま焼いてくし型に切ったジャガイモが皿いっぱいに並んでいた。真ん中の赤ピーマンの器の中に入った薄緑色の香草ソースをかけて食べるのだ。イモ何個分だこれは?でもおいしいのでバクバク平らげた。 ロモサルタードが来てまたぎょっとした。 牛肉とフライドポテトとたまねぎの炒めたやつにご飯が添えられている。もちろん、たっぷり。 さっき必死でジャガイモを平らげたのに、またジャガイモとご飯が追い討ちをかける。かなり腹いっぱい。でも食ってやった! ああ、満足! 高山病予防のために今日は、あまり油モノは食べないほうがよくて、魚とかスープがおすすめだとフェリペさんが言ってたのだけど。まあ、まあいいではないか。 |