3月25日(木) 飛行機尽くしの長い一日(日本→ヒューストン→リマ)
久々に飛行機に乗るので、国内線でさえひとつひとつの手続きに緊張の連続。 伊丹から羽田、成田からヒューストン、ヒューストンからリマへと全部で27時間ほどかかったろうか。 ヒューストンへ向かう飛行機の中で日が暮れたが、日付変更線を超えるとまた同じ25日の朝になっているのだった。
機内でのスチュワーデスのホンモノの英語、「餌」のように与えられる食事、トランジットのための入国審査。そんなことを通して、徐々に海外に出てきた実感がし始めた。 でも、旅の前ギリギリまで片付けていた仕事やなんかのドタバタの延長で、全てのことを事務的に処理してしまって、旅になじんでいない自分がいる。 ヒューストンにつく頃にはもうぐったり。すっかり腰がひけて萎縮してしまってる私。
夕方、リマ行きの飛行機に乗り込む。 いよいよペルーに着くのを待つだけだというのにぐったりした私。 テーブルに「地球の歩き方」を置きつつも、読む気力がわかず、目をつむって窓にもたれて離陸を待つ。
ふと目を開けると、隣に私と同じようにテーブルに「地球の歩き方」を置いた日本人女性が。あれ? 成り行き上、挨拶して、どこに行くのか、なぜペルーヘ、などと話し始めた。と、なんだか話がどんどんと盛り上がる。
彼女は花粉症のためにマスクをしていたが、そのマスクをあごの下にひっかけてしゃべる。見た目を気にしない感じ(失礼)で、なんだか私と同類のニオイがして、妙に馬が合うのだった。 彼女は名刺に、自分の名前や電話番号の全てに語呂合わせの覚え方を書き込み、裏にまで趣味や仕事などをびっしり書き込んでくれた。いきなりハイな人だ。聞けば、旅の緊張で日本からずっと一睡もしていないと言う。 ちなみに彼女の名前の語呂合わせは「マルチについてるむちゃくちゃラッキーな」マツムラさんなのである。
負けていられないので、私もメモのきれっぱしで作った即席の名刺にいっぱい書き込んだ。名前の語呂合わせも考えてもらう。そのコツは人に一発で印象付けるネーミングかつ、自分が元気になるような言葉にすることである。 できたのは「さすがの得意技はウルトラCのゆき」。 んー、どうも語呂がよくない。さらに考えて、ヒラメキ!
「さあとうとうウルトラゆき」。
これだ!呪文のように何度も唱えてみる。 さあとうとうウルトラゆき! さあとうとうウルトラゆき! さあとうとうウルトラゆき!・・・ だんだん気分がハイになってきた。眠くて疲れてるんだけど、ヤケクソ!?、気分はハイ!さあ、いよいよペルー上陸だ!行くぞ、さあとうとうウルトラゆき!
マツムラさんのおかげで、乗る前は疲れきっていた自分が信じられないくらい、元気でニコニコした私になってきた。いよいよ憧れのマチュピチュへの旅が始まるのだ。もううれしくてうれしくてたまらなくなってきた。
ついにリマ空港に飛行機が着陸した。
私の掌は汗びっしょり。緊張するといつもこうなのだ。 マツムラさんはそれを「濡れ手に粟」だねと言ってくれた(そんなこと言われたの初めて!)ので、彼女に汗をわけてあげた。べったりと手を握ったのだ。 飛行機の出口はあの「タラップを降りる」形式になっていて、それは私には初体験だったので、またまたヨロコビと緊張で汗が吹き出るのだった。
リマの夜はムンッと蒸し暑かった。潮の香りがかすかにした。 日本の団体ツアーの一員であるマツムラさんとはお別れ。固い握手をして。 私は一人旅なのだという実感に身が引き締まる。
空港の出口へ。仕切りロープの向こう側はすごい人だかりだ。これがあの本に書かれていた客引きか。 その中から「PAT」と書かれた板を持った人を必死で探す。 「サト!」と声がして振り向くと、いたいた、現地ツアー会社の人。 英語で会話。わかりやすくゆっくり話してくれたのでびびらずにすんだ。 ホテルまで車で送ってもらう。車窓から見る夜の街並み全てが物珍しい。治安の悪い街だというリマ。やっぱり人気のないところなどは怖そう。
ホテルManhattan
Innに着いたらあとはもうバタンキュー。長い長い一日だった。
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